澄んだ心 ~野口晴哉先生語録~
《野口晴哉語録より》
勘はどうして鋭くし得るかといえば、心を澄ませることに尽きる。
張った心も、冴えた心も、勘の基ではない。心静かにして、悲しければ泣き、可笑しければ笑う。単純に見、単純に処して、心に複雑な煩いを持たぬことが何よりだ。
つきつめていえば、人間というものは着込んだって飾ったって、鍍金(メッキ)したって、見栄張ったって、身に付くものではない。
誰だって着物の下は裸さ、鍍金したところで鍍金だ。自分の物だけが自分の物だ。その一挙手一投足も、その人の全てだ。
気取ったり見栄張ったりしないで素直に生きることこそ「澄んだ心」に到達する唯一の道だ。
腹式呼吸とか精神集中とかも、必要な修養法に相違いないが、その人の生活から付け加えられた本来でない物を取り除いて雑念を少なくすることが何よりだ。
「知識は力である」とベーコンは指摘したが、そうである。鹿の角にしてはならない。
知識がいよいよ複雑になり、人間が背負うに過重な程になれば、その知識の故に人間は安心と決断を失う。しかも人間は知を追うて止まるところがない。危うき哉。
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by Hitomi スマホ
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