叱言 ~野口晴哉著「叱り方褒め方」~
《野口晴哉著 叱り方褒め方より》
道場の窓から身を乗り出している子供に大人が「危ない!」と止めたら、それを振りきって窓枠の上に乗ってしまった子供がいた。親が「この子は無茶だ、乱暴で困る」と言っていたので、私はそこから瓶を落とさせた。下に落ちたらガチャンと割れた。
「落ちるとあんな風に割れるんだよ」と言ったら、それから五、六回ここに来ているが、一度も窓の側に近づかなくなった。家でも危ないことをしなくなったそうである。
つまり危ないことをするというのは、度胸がよかった訳ではない。無茶な訳でもない、ただ無知だったというだけである。瓶が割れたのを見て、自分もああなってはたまらないと思ったから乗らなくなった。
しかしそういうことを知らない子供に向かって「乗ったら危ないですよ」といくら言っても、子供は何か自由を束縛されたような気がするだけで、束縛された感じに反抗して、却ってわざわざ親の嫌がるようなことをやるようになる。
そういうことでは、親のいろいろな注意も、数多く言えば言うだけ、いよいよ受け入れられなくなる。
つまり分からない叱言を言葉の数で言ってきかせようとして、叱言に対して鈍い子供にしてしまうのである。こういう時は叱言を実感として判らせる必要がある。
ー中略ー
それを親は「危い、危い」と言う。ひどいのはいきなり、側にいる者までびっくりするような大きな声を出して警告する。「私が危ないと言ったのに落ちてしまった。注意したのに…」と言えば、親はそれで自分の気が済む。けれども親の行為を分析してみると、自分の責任を逃れるために、或いは自分の心の負担を除くために、いきなり大きな声を出して、危ないところにいる子供をいよいよ危い状況に追い込んだと言えなくもない。
私はそういうやり方は、すべて危険につながっていると知っているから、ニコニコしながら側に行って、ちゃんと手を押さえておいてから話しかける。「下を見てごらん。瓶を落とすとこうなるんだよ」と言う。側へ行くまでは決して脅かさないようにしなければならないのである。
写真
by Hitomi デジカメ
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