お化粧をする知恵 ~野口晴哉著「嫁と姑」~
《野口晴哉著 嫁と姑より》
お化粧をする知恵
(質問「姑が好きになれない」に答えて)
訳の分からないおばあさんと暮らすとなったら、この方のように、心に蓋をして暮らす方がむしろ自然でしょう。心に蓋をしたままでも、愛想よく親切らしく、他人には孝行しているように見せることも出来るのです。
この方はそれをやらないでいるのですから正直な人だと思います。けれど、その正直の上におまけのついた「馬鹿正直」というのがこの人のやり方のようです。その馬鹿正直の馬鹿だけを除いて行為なさればいいと思うのです。
無理に心を変える必要はありません。火は水を豊かな心で迎え容れようとはしません。火と水は相反するからです。そのように、世の中に相反するものが沢山あるのです。だからそれを容れたからといって、必ずしも豊かになるわけではない。容れたら、そこに別の妥協が起こってくるのです。
この人の間違っていることは、自分の今のやり方がよいという自信を持っていないことです。よい態度だという自信がない。自信は無いのだが「自分はよい」とだけ思い込んで、無意識に相手の在り方を責めたい、けれどお姑さんには責める余地がないというわけてす。
そういう点では馬鹿である以上に無知でもあります。そういうことをみんなやめて、自然に、正直に振る舞えばいいんです。それが難しかったら、綺麗にお化粧する知恵を働かせたらいいのです。
顔に紅を塗っている人も沢山いるのですから、お姑さんに少しくらい心にもない親切をしたってかまわないでしょう。唇を赤く塗っても誰も咎めなどしない。むしろ綺麗にお化粧して身だしなみのよい人だと評価します。
お化粧が綺麗で、中身の実体は汚ないと言う人があるかもしれないが、それであっても、綺麗にすることを一応たしなみとして認めます。
それが生活の知恵なのです。だからお姑さんに心にもない愛想を言うことだって、それはたしなみの一つなのです。そのちょっとしたたしなみさえ持てば、お互いに気楽に暮らせるのです。
お姑さんが最近私を追いかけてきている、逃げると追いかけるとあるが、生きているものの間なら、逃げれば追いかける、追いかけられれば逃げるのは当然です。
だから相談するといやな事を言う、頼られるとつっけんどんにするのが人間の本性なのです。頼り過ぎることと頼ることを混同して考えています。
今のままの態度で良いのです。他人に対してでもお姑さんに対してでも、この文章に現れているくらいに認めておけばいい。嫌なお姑さんだから口もきいてやらないと思っているならいけないが、ここではちゃんとお姑さんの良い所は良い所として認め、お姑さんの人権を尊重していることが現れています。
とくに自分一人が好意を尽くさないために、代わりにご主人もお子さん達もみんなおばあちゃんに好意を尽くしているのだから、汁粉の中にちょっぴりお塩が入っているようなものです。
ー後文略ー
写真
by Hitomi デジカメ
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