裡の自然 ~野口晴哉先生語録~
《野口晴哉語録より》
裡の自然
―前文略
だいたい生きているということ自体、全てが活元運動なのです。
意識で生きようと思って生きているわけではない。体の裡で動きが生じて、お腹が空く、仲良くしていても、喧嘩をしていてもお腹は空くし、大便も出たくなる。
生きていること自体がそういう無意識の運動の連なりで行われている。だからその無意識の運動を訓練する活元運動が、人間の生活の全てに行われても不思議ではない。
むしろ意識的工夫や努力で生活する様式よりも、全部を生の設計に任せる、活元運動に任せてしまった方が、自然に生きるという面では徹底するということなのです。
近頃、自然ということが盛んに言われています。つまり、山へ行けば自然であるとか、木が在れば、それで自然だとか言っているが、そうではない。
一人一人の人間の生き方が体の要求に沿っていくことが自然な生き方だ、と言わなくてはならない。
そういう意味で、山に登ったからといっても自然に近づくわけではない。眼をつぶって、自分の意識をなくして、もっとその奥にある心に触れるとか、自分の無意識の動きに生活を任せる方が、却ってその中に自然というものがある。
だから外にいろいろ求めるよりも、自分の裡の自然をまず掴まえだすべきで、それには活元運動は近道です。
写真
by hitotoki スマホ
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