弛みきらないのは何故か ~野口晴哉先生講義録~
《野口晴哉講義録より》
弛みきらないのは何故か
眠っても夢を見る、覚めても眠い。起床する時腰が痛い、肩が凝っている。何故か、脱力不充分だからである。
疲れているのに何故深く眠れないのか。それは余力があり過ぎるか、又は体の一部に脱力不能部位があるからである。中略。これが体癖というものである。
中略
こういう体癖の中には職業的疲労による習性もあるが、先天的傾向が多い。どうしても片方しか向かない寝相をする乳児があるのは、体癖が先天的なものであることを示している。
しかし、どちらにしても体癖があると体の一部に過労部位が生じ、その過労部位の感じが疲労感となって全身に及ぶので、体に余力があるのに疲れた感じになる。
難しい書物を読んで眠くなるのは、眼又は脳の疲労で、全身を疲労させるものでないことは分かろう。
その如く部分の疲労は全体の疲労感となって、余力があるのに休養の要求を起こす。しかし余力があるのだから眠り難い。寝相を何度か変え、疲れが全身に及んで初めて眠りに入る。
それ故疲れていても、麻雀でも始めれば新しい力が湧く。本当は新しい力が湧くのではなく、余力が動員されて集注するだけなのだが、それでも徹夜もできるのだから、人間は部分疲労のために余分に眠らされていると申してもよい。
そしてその眠りは浅いから、眠ったあとまで疲れているのである。
職業的な疲労の偏りや、体癖的な疲労の偏りを除く工夫のいるのはそのためである。部分的疲労部位は脱力が難しいため、段々硬直し、硬化して弾力を失っている。
そういう部位が体にあるはずだから探してみるとよい。その硬直部分がわかれば、平素無意識に取りやすい姿勢の癖を見つけることは容易である。人間が咄嗟の時にとる体勢は、体癖的歪みをむき出しにしているものである。
写真
by H.M. デジカメ
0コメント