背骨は語る ~野口晴哉先生講義録~
≪野口晴哉講義録より≫
背骨は語る
前文略
人間の体と心は別々のものではないのです。それを研究方法が別になっているために心と体が別のもののように思って、「これは心の病気だ、これは体の病気だ」と分けようとするが、それは違うのです。
消化器が悪い人は感情が高ぶりやすい。腸の悪い人は感情が沈み込んでしまう。呼吸器の弱い人は何でも感情を抑えつけてしまおうとする。自分では意識していないのにそういう傾向になる。
腰椎の四番が弱い人は、みんな感情が内向してしまう。私も十年前の恨みを言われてまごついたことがありますが、十年間一筋に、そのことだけを思ってきたというのは腰椎の四番の弱い人。開閉型の人ですね。
だからそういう人にとっては何かあるとさっと内向して、抑えてしまう。本人が内向などしまいと思っても。内向する。
そういうことは全部自分の心のせいだと思うが、そうではなくて体の癖なのです。
「盗癖」でも「寝小便」でも「告げ口する癖」でも、みんな心の癖だと思って何とかしようと思うけれども、そうではない。それは体の癖である。だから体の癖を正すと治ってしまう。指をしゃぶる癖だとか、頭をかく癖があるとかいう習癖でも、その習慣を作るものは体の癖なのです。
頸の一番、二番の捻れている人はしょっちゅう手を動かす。手を動かさないと心が働かないのです。そういう人が頭を掻いたって、指をしゃぶったって、それはしかたがない。
九種傾向の人は、何か喋ろうとすると体が縮んでしまう。縮まないと喋れないのです。それを胸を張って上を向いて喋りなさいと言ってもできないのです。捻れている人は額に汗ばかり出る。だからしょっちゅう、額を拭っていないと汗が目に入る。緊張すると汗が出てくるのです。それは小便の閊える人の特徴なのです。
だから、そういうような何気ない普段の動きの癖でも、それが習慣になっていくその下には体の偏り習性というものがある。だから習癖でも性癖でも、やはり元は体の癖である。
病気になるのでも、また病気が治る経過でも、やはり体の動き方によって、なる病気も、それの治り方も変わってくる。体の捻れの偏り方によって病気になる場所も違ってくる。だから捻れた人が呼吸器病になろうと思っても、なれはしない。
前後の人が高血圧になろうとしても、ならないのです。
みんなどんな病気にでもなれるつもりでいろいろ心配しておりますが、胃袋の弱い人はいくら食べたって糖尿病にはなれない。糖尿病になる以前にお腹が痛んで、そんなに食べられない。だから糖尿病になるのだって普通の体ではなれない。どんな病気にでも自由になるわけにはいかないのです。だから病気になるのには、その体癖に敵う病気にしかなれない。
そうやって考えていきますと、病気や習癖や性癖を正そうとする場合には、体の使い方の癖、体の偏り運動というものを見つめて、その面から正していくことを考えなければならないのです。
そういう偏り習性を観るのは、やはりこういう背骨の一つ一つに残っている偏り運動の跡を確かめることによって調べていくことが一番の近道なのです。
写真
by Hitomi スマホ
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