操法の型について ~野口裕介先生(ロイ先生)講義録~

≪野口裕介(通称ロイ先生)講義録より≫

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ー操法の型についてー


例えば家庭の中で愉気をするといえば、子供に愉気をするという時に、お母さんが寝転がって愉気していることだってあるかもしれません。或いは、椅子に腰かけている人を愉気することだってあるわけです。場合によっては、病院のベッドで寝ている人を逆さまから愉気していかなければならないことだってあるかもしれません。ですから、うつぶせ、或いは仰向けの人の横に座って愉気するという型だけではないかもしれません。そして別段それに対して問題があるかというと、そういうわけではありません。


ただ、整体指導ということでやっていく場合には、その位置というのは割りに大事に考えているのです。もちろん、血液の流れとか気の流れとか理屈をつければそういう問題もあるかもしれませんが、仰向けになった時に相手の右側に座った形で、こちらの側から話しかけていくということは大変大事にしているのです。人間の心の構造というものがありまして、それは体の動き方と関係があって、仰向けの状態で右側から話しかけられるのと、左側から話しかけられるのとでは受け入れ方はちょっと違うのです。


例えば皆さん電話をどちらの手で取っていますか。どちらでも変わらないと思うかもしれませんが、本気で大事なことを考えなければならない、大事な答えをしなければならない電話となると、突然持ち替えたりする人がいますね。そういうように右側では何でもないことは聞いていられるのに、本気になると左側から聞かなければならないみたいなことというのは、体の中に備わっている面があるのです。


相手の人がうつ伏せなら左側に座って愉気しているということは、やはり、意味があるのだろうとは思いますけれども、愉気そのものはどんな格好でも構いません。本気になってやる時にはどんな格好でもやっていますし、それに任せていればよいのです。


ただ整体操法を勉強していく場合には、やはり、きちんと型を身に付けるということを練習していかなくてはなりません。例えば一人の人を愉気していくのならどんな格好でも大丈夫です。ところが五十人、百人の人を観るということになると、どんな格好でも大丈夫というわけにはいかない。つまり或る一定の集中感というものを自分の体の中に養っていかなくてはならないという場合には、やはり型を自分の中に身につけないとなかなかできないのです。この人にはできるが、この人にはできないということがあってはならないという状態の場合には特にそうです。


ですから玄人を育てていくという場合には、型に関してすごく喧しい。それにそばから見ていて綺麗に見える方がよい。教えていく以上はそういうことも大事になるのです。得体の知れない人がウロウロしていると、誰でもおかしいと感じるでしょう。やはり、型という形から教えていく方がよいと考えているのです。


まあ、この講習会自体はそういう人の入り口であってもよいとは思うけれども、玄人を養成しようと思っているわけではありませんから、そういう意味では広く愉気ということを知っていくだけでしたら、どんな格好をしてもよいです。


愉気をするという時に胡座をかいていても構いません。ただ、自分の中で相手の命を大切にする気持ちがあると、自然に正座することが快くなってきます。そういうものです。


正座の姿勢が苦しいというのなら、それは胡座をかいてやっても構いません。何の問題もありません。でもまた正座の姿勢をとってごらんなさい。順々にできるようになってきます。そして、正座という姿勢は鳩尾が弛んでいて、下腹に力が集まりやすいというそのことが、整体ということを考えていく場合には敵うということがわかってきます。


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やさしい野口整体

〜野口裕介(ロイ)先生に捧ぐ〜 Facebookページ「やさしい野口整体」に宮崎雅夕先生が投稿された記事の保存版サイトです。