活元運動の心 ~野口晴哉先生講義録~
≪野口晴哉講義録より≫
活元運動の心
(質問に答えて)
前文略
大体活元運動というのは、生きる力、生きようとする要求で動くのですから、活発に生きたい要求、生きようとする要求が無いときは動きにくいのです。
だから「もう私は生きているのは厭だ」などと思っている人は、なかなか出にくいのです。生きていることが厭だなんて言っていても、運動が活発に出れば、実際はもっと生きていていいという意味だと、そう考えてもいいです。
だからその人の生存要求の現れと、そう見れば、八十歳だろうと九十歳だろうと活発に出る人がいるし、五十歳でも六十歳でも出にくい人があるのです。
だからまずその人が生きる希望を開拓して、それから活元運動をなされば、もっと活発に生きてゆきます。
嫁に嫌な顔をされてまで生きてゆくなんて…‥と思って億劫がっている人では、なかなか活発には出にくいでしょう。
けれどもそのうちに活発に生きようと決心するようなことでもあれば活発に動き出すのです。嬉しいことがあり、また楽しみなこともあったりして、徐々に運動も活発になってゆきます。
中略
生きる目星がないと出にくい。だから生きていくことは、やはり喜びでなくてはならない。生きるための喜びを何か掴まえ出さなくてはいけない。そういう積極的に生きる気持ちを持たないまま活元運動をやるというのは本当はおかしいのです。
【質問】
生きる希望というのは与えられるものでしょうか、それとも愉気で‥…
【答え】
感じるものです。自分で。
体が丈夫になると、自然に生きようという要求が起こるんです。
写真
by Hitomi デジカメ
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