体の備えている知恵を活かす ~野口裕介先生(ロイ先生)講義録~

≪野口裕介(ロイ先生)講義録より≫

体の備えている知恵を活かす


今月は頭の穴追いをやろうと思いますが、実はこれはすごく難しい技術なのです。

今私たちは活元運動の実習で、一人で行う活元運動と、二人で組んで行う相互運動というものを教えています。


皆さんはこの相互運動が当たり前の形だと思ってやっていらっしゃる方が殆どだと思いますが、そういう形で行なわれ出したのは、昭和40年頃、この瀬田の道場が出来てから後のことなのです。


それ以前の活元会というのは、相互運動ではなく活元操法というものが主でした。活元操法というのは、それ以前は自動療法と呼んでいました。


やはり二人で組んで行うのは同じなのですが、受ける人は何もしない、そのまま相手に任せきりでいる。そして、する側の人は相手の人に手を当てて実際に活元運動をしていくのです。


そういう形のものを自動療法と呼んでいたのです。何故かと言うと、当てている手が相手の必要とする処に自然に動いていくからです。


まあ、その後私たちは療法という名前は使わなくなりましたから活元操法という名前に改まったわけですが、その活元操法も体育の団体になった時点で相互運動という形に変わりました。


それは、一人の人がする側に回っているけれども、もう一人の人が受け身になって何もしない。これでは体育にならないということで、相互運動という形でお互いにやるものだということにして、今に至っているわけです。それは活元運動を普及するのには必要なことでしたし、体育として普及するのにも敵っていたわけです。


ところで、この活元操法というのは、もう今では上手にできる人は少なくなってきていますけれども、これは何でもない、する側の人が活元運動をするだけなのです。


受ける人は臥せになってポカンとしたままでいる。する側の人は活元運動を誘導する時の呼吸をやって、そしてそのまま相手の背中に手を当てます。そのまま体の動くのに、手の動くのに任せているだけ。まあ、愉気の延長だと思って頂いてよいです。


後は最後に手の止まった処にじっと愉気していることになります。これが一番古典的なスタイルで、昔の活元会というとこういう感じだったのです。


私の父はこういう仕事をはじめた時に、愉気から入っていきました。すると愉気していると動き出す人がいた。最初のうちは動き出すと心配ですからね、止めることばかりを考えたそうです。


止め方はなかなか難しかったと言っておられたけれども、左の肩をどんと叩くと止まるということが分かった。


止まることが分かると、今度は動きが出てきたらそのまま運動が発展していくように放っておいて、ずっと観ていた。そうすると、止めるよりもその方が体に良いということが分かってきた。


さらに、今度は愉気をしている人の方にも活元運動が出てくることがあった。それも止めないで、その活元運動の動きに任せていると、最後に手が当たっている処がその人にとって一番必要な処たったりするというようなことも分かってきました。体は本能的に相手の悪いところを知っているのですね。


そういうことを見つけてきて、昭和二十年代くらいまでは、活元会というとそういう形でやっていました。愉気していくと自然に動いてくる人がいる。そして二人で組んで動くに任せていると、相手の必要とする処に手が行く。ですから、これはどちらかと言うと原始的なものなのですね。そういう意味では、活元操法の上手な人というのは野性的なタイプの人が圧倒的に多いようです。


今はこういう活元操法はやりませんけれども、私たちが最後の最後に分からなくなったら、この意識を捨てて活元操法のようなものに身を任せる、それが最後の手段でもあるのです。体は知っているのです。頭の中では知らないけれども、体は相手の必要な処ということで手が当たっていくのです。

さて、そういうようなところから、これから行う頭の穴追いということを考えて頂きたいのですが、頭の穴追いというのは、最初は謂わば脳溢血を起こした人たちの一つの治療法でした。皆そのつもりでやっていました。もっともそれはかなりリスクの高いものだったと思います。

けれども、もうそれしかなかったということもありますし、脳溢血を起こした場合に、絶対に動かしてはいけないというのが当時の常識だったということもあります。そういう意味では、その場から動かしてはいけないわけですから、家族の人がやれることがあるとすれば、この穴追いになるわけです。


けれども、今はそのためには教えません。却って、頭の穴を追いかけることを利用して体の弾力を取り戻すということを目標にしてやっています。


その結果、頭の穴追いはこういう形で行います。


それはちょうど相互運動のような感じで、受ける側の相手の人も楽な姿勢を取りながら動いていく。そういう中で頭の穴を追いかけていくという形をとっています。


それだけなのですけれども、この簡単な、本当に原始的なことが、教えてみると意外や意外、けっこう難しかったのです。知識があって、いろいろ知っている人ほど難しい。


むしろ何も知らない人の方が簡単でした。活元操法に似ているところがあって、いろいろな知識があり過ぎると却って手は動いて行かないものなのですね。


そのようなことで、頭の穴追いということが意外に難しいと言われたのですけれども、実際にはそんなに難しいことではありません。 


―中文略―


頭の穴追いの操法というのは整体操法と違って、どういう理由でそういうように変わっていくのか分からない。分からないけれども、最後まで穴を追っていくと、一応その人の一番特徴のある体の状態になります。


最後まで追いかけられたということは、頭の中の大掃除ができたということになります。

―後文略。


写真

by Hitomi デジカメ

やさしい野口整体

〜野口裕介(ロイ)先生に捧ぐ〜 Facebookページ「やさしい野口整体」に宮崎雅夕先生が投稿された記事の保存版サイトです。