~野口晴哉著「誕生前後の生活」~

《野口晴哉著 誕生前後の生活より》


私はいつも他人の子供を抱いています。必ず自分に抱き取って愉気をします。そうしないと駄目なのです。抱き取った瞬間の重さが一番重要なのです。


物理的な重さではないのです。眠ると重くなり、目が覚めると軽くなるという重さ軽さ。又締まると軽くなる。その重い軽いが手で感じられるようになることが、勘を養う第一なのです。

中略


子供が愉快になっているとき、食べたいものを食べたときには重いのです。ところが無理に口に押し込まれた子供は沢山食べても軽いのです。自分で欲しくて食べたものと、たべさせられたものは違うのです。


だから栄養が充分に入ったから重いのかというとそうではなくて、食べ方によって重かったり軽かったりする。勘を養う方法としては、赤ちゃんは必ず自分の手で抱くこと、人に抱かせたまま愉気をしないこと、自分で受け取って、そして受けとる時に心を澄ませて、その瞬間に全てを感じ取るつもりで手を出す。


自分の子供の場合にはいつも抱いているので、つい手拍子で抱いてしまうことがあるのですが、手拍子ではなく、目を瞑って静かにそっと抱き取れば間違いはないのです。


中略


お母さんが子供を抱いたときに子供に注意を集めていれば、子供の体は不調でも、そういう重さがあるのです。親が他のことを考えているときは、どこも悪くなくても全然軽いのです。


抱いていても、おぶっていても、心配していても、親の気持ちが他に行っている時はすぐ判るのです。だから何を考えているかが、抱いている子供を受け取ってすぐ判るのです。


勘というのは非常に面白いもので、今まであったことのトータルサムを、すーっと感じられるのです。亭主がどこかへ行ったことを気にしているだけでも、赤ちゃんに気が集まらないのです。


病気なったり、怪我をしたり、いろいろなことが重なるのは大抵そういうときです。親が子供に注意を集めているうちは、子供は滅多に不調になることはありません。


子供を育てるにしても何にしても必要なのは勘であり、注意を集めることです。注意が集まったその時点で勘が働くようになるのだと思います。


中略


だから子供に対する愉気の根本は、勘と注意を集めて愉気すること、それによってだけ発展していき、それがないといろいろな方法をやっても無駄なのです。


栄養を満たす場合に、大人だと食べ物をいろいろ変えますが、子供の場合は食べ物ではなくて、注意を集めるということなのです。風呂の入れかたにも注意を集めることで、今までと同じ食べ物でも栄養が満ちてくるのです。


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やさしい野口整体

〜野口裕介(ロイ)先生に捧ぐ〜 Facebookページ「やさしい野口整体」に宮崎雅夕先生が投稿された記事の保存版サイトです。