いのちの姿勢を正す ~野口晴哉著作全集第十巻「紫煙録」~
《野口晴哉著作全集第十巻より》
紫煙録より
いのちの姿勢を正す
整体の体はいのちの現象であり、整体とはいのちの姿勢を正すことで格好の問題ではありません。
いのちというものは体にあって、体の働きが全体として調っておれば無事だと考えている人もありますが、栄養が充実していても、後頭部を打っただけで死んでしまう。脚を片方なくしても、胃袋を切り取ってしまっても、生きている。衰えて死にそうなのに死なない人もおれば、元気で活発でポックリ死んでしまう人もいる。
だからいのちは体にあるのではない。
一部が欠けても死ぬ。大部を失っても死なない。第一、死んだといっても体が死ぬのではない。死んで止まった心臓でも培養液に入れるとまだ生きている。死んで物が映らなくなってしまった角膜でも、他の人の眼に入れれば、又物が映る。
体が死んだわけではないからです。
いのちがなくなると死ぬ。死ぬと崩れる。
しかし生きておれば崩れているものでも新たに生きる。
問題は体ではない、いのちである。
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by Hitomi スマホ
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