その人らしさとは 4 〜野口裕介(ロイ)先生講義録〜

≪野口裕介(ロイ先生)講義録より≫
その人らしさとは(4)

人間の中にはどうしても変えられない、従わなければならない、何かそういう波というものがやはりあるのです。

調子というかリズムというか、体の裡にそういう自然の流れというものが厳然としてあるのです。そして、その波に従って体を動かさざるを得ないということがあるのです。

まずそういうことを認めるか認めないかということが、健康に関して考えたときにすごく大切なことなのです。

川が流れているとか、木があるとか、海や山の中にだけ自然があるわけではなくて、私たち人間の裡にもちゃんとそういう高潮になったり低潮になったりという自然の流れがあるわけです。

そうすると、その自然な流れを無視して、高潮を低潮にするようなこと、或いは低潮を高潮にするというようなことは、本来から言えばできないのです。

ですから日本シリーズで一番力を出さなければならない、自分でもそのためにずうっとやってきて一番力を出さなければならないというときに、低潮が訪れてしまうということだってあるわけです。
よく人はそういうときに「スランプ」と言ったりする。球が当たるとか当たらないとかいうのとあまり関係がなさそうなのに、「バットに当たるはずが当たらないんだ」とか言っている。

そういうふうに観ていくと、スランプは病気ではない。ある時期からそのスランプを乗り越えるとまた変わってくる。けれども、本当のことを言えば、低潮だからスランプだというわけでもないのです。

確かに低潮高潮も見方の一つとしてあるし、説明するのに説明しやすいのですけれども、低潮だからスランプだというわけでもないのです。高潮時にスランプになる人もいるのですよ、或る意味で言えばね。

波のことをもう少し話していけば、例えばたぶん人生の一番最初、受胎するときというのはその一個の生にとって高潮でしょう。

それから、その次に高潮の時期というと、出産の時期です。出産の時期というのは母親の高潮低潮の時期と多少関わりがあるかもしれないけれども、一個の生にとって考えてみれば、新たな時期として、ちゃんと高の時期に生まれてくるようなリズムができているみたいです。

そして、若い間は高潮期が長く、年齢が高くなるに従って低潮の時期の方が少し長くなってくる。少しずつそういうふうになってくる。そして、そういう中でだんだんなだらかな波になってくる。

それから、もし本当に死というものを自然な形で迎えるとするならば、それは低潮でしょうね。それは極めて穏やかな、安らかなものに違いない。反対に高潮のときの死というのは、それは辛いものでしょうね。ともかく、そういうように波というものがちゃんと存在しています。

一応そういう波があるということだけ考えてみてください。

今生きている私達の中にはそういうちゃんと一つの自然の持っている波があって、その波のリズムの中で私達は生きているわけです。

そして、そのリズムの中で、捻れ的な偏りをしたり、左右とか上下に偏り方をしやすかったりする、自然にそういうような偏りが生まれてくるということがあるのです。

写真
by H.M. デジカメ

やさしい野口整体

〜野口裕介(ロイ)先生に捧ぐ〜 Facebookページ「やさしい野口整体」に宮崎雅夕先生が投稿された記事の保存版サイトです。