その人らしさとは 3 〜野口裕介(ロイ)先生講義録〜
≪野口裕介(ロイ先生)講義録より≫
その人らしさとは(3)
前文略
前回お話したように、自分が思っているような形にしたからと言って、相手にとっては力が発揮できるとは限らないのです。
この事が一番大事なことなのです。つまりどんなに説が正しくとも、その人が少しも元気にならなかったというのであれば、それは意味がないのです。
ですからその人に合うということを考え、そして一番その人らしい何かが生まれ出てくることによって初めて健康というものがあるのだということです。
けれどもそれは逆に言えば、健康であればその人らしさというものはすべてに現れているということです。
ですから硬張りという目から見ていくならば、その人らしさ、個性というものを発見することは難しいのではなかろうかと思うのです。
つまり異常というものに個性を見つけるのではなく、その人のごく当たり前な姿に個性というものを見つけていくということです。
当たり前な姿、或いはごく当たり前のことだと言うと、日本人はよくそれはみな同じことだと考えてしまう性質があります。
野茂というプロ野球の投手がボールを投げている姿を見れば、それは実に完成された動きをしていることは素人が見ても分かるでしょう。非常に綺麗な形で、自分の体を十全に使って投げている。
その人自身が自分の力を発揮しようとして編み出しているその形、フォーム自体が実に綺麗ではないですか。けれども日本の野球コーチは「あれでは駄目だ」と言うのです。
どちらがおかしいのでしょう。「ああやって後ろを向いてしまうのはいけない。あれは形を直さなければ駄目だ」と言って、へんてこりんなコーチが教え、直そうとしたのです。
それでは教えられるわけがありません。みんなそれぞれ異なる人を同じ一つの型に当てはめようとすると、それで潰れてしまう人はたくさん出てきてしまう。
たしかに型にはまったことで、その小さな世界だけなら通用するということはあるかもしれないけれども、ちょっと器が拡がったらもうそこでは通用しない人間というのはたくさんいるものです。
型にはめるということを全く否定はしません。
それもまた大事なことなのかもしれない。
だけど個性というものを考え、その人の体の使い方や動きということから考えたときには、その人の力が十全に発揮できるような、環境や理解というものを、みんなが持っていなければならないことは間違いありません。
なぜならそれがその人の健康と関わりがあるからです。健康と関わりがなければ、そんなに大事な問題ではないかもしれないとも思う。
ともかく野茂選手をみていると分かるように、ボール一つ投げるのだって、完成するのはやはり自分なのです。
写真
by H.M. デジカメ
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