〜野口晴哉先生語録〜
《野口晴哉語録より》
吾々が怪我をすると、自然に治ってくる。それは体が自然に治してゆくのである。治し方を知らなくても、細胞の作り方を心得ていなくても、自然はちゃんとやってくれる。
切った処に膏薬をつけたり薬を塗ったりすることを治療だと思っているが、怪我というものは、自然につながるより以外につながりようはないのであります。
形式さえ整えればそれで良いと思って、縫ったり貼ったりすることにだけ一生懸命になって、一番肝心な内面の力を振作することを閑却しているということは、人間の生きていることが如何なるものであるかを理解しておらぬ為に起こるのであります。
人間の体は手も足も一緒であります。眼球とか鼻とか口とか耳とか、一つ一つ数えてゆけば、顔というものはどこにありますか。
脚が片一方なくなっても、ワタクシがワタクにはならないのであります。
眼球は眼球の眼球ではなく、むしろ露出した脳の一部であり、脳は脳の脳ではなく、むしろ体の一部分とみなすべきです。
例えば、山葵おろしを食べると、鼻にツーンときて涙が出る。顔も一緒に赤くなって汗ばむ、そして胃袋の働きはずっと増してくる。
今までは、余りにも分析的に人間の体を考えて、全体というものを忘れていた。樹を見て森を見ないような弊に陥っていたのではないかと思うのであります。
人間を治すというのことの対象は、人間そのものであって、いろいろな体の部分をその対象と為すべきではない。
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by H.M. スマホ
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