愉氣 ~野口晴哉先生語録~
《野口晴哉語録より》
近頃、精神集注の作用を超能力視する人が多いが、精神を集注すれば体の働きを生かし、また物を変化させることも、そう特別なことではない。愉気ということが行われるだけである。
人間に愉気をすることを行って五十年、いろいろな人に教えたが、だれにでも出来る。信じようと信じまいと行なえる。それゆえ、だれもが持っている能力であると言えよう。
私が不思議に思っていることは、愉気を同一人に繰り返し行なうと、愉気に対する感受性が、いよいよ亢まって鈍らぬことである。
外から与える全ての刺激に対し適応に進むのは、人体の常であり、それゆえ毒も薬も、繰り返すと受け容れなくなる。灸でも鍼でも、指圧することでも同じである。叱言とてもまた同じである。
こう考えていくと、愉気は人間にとって、刺激となる他のものとは、異なるのではなかろうか。
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by Hitomi スマホ
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