生きているということ ~野口晴哉先生語録~
《野口晴哉語録より》
生きているということ
人間は古いものを壊し、新しいものをつくり出して生きている。壊す方も治る方も共に生きてゆく力である。
それなのに、治る方は自然良能と言い、壊す方は嫌っているけれども、破壊するということがあって、建設するということがあるのである。
建設と破壊が円滑に行われることによって生きているということがあるのだから、力が余ってくると壊そうとし、力が足りなくなればつくり出そうとする要求が起こる。
言い換えれば、人間の要求の中には、生きようとする要求もあれば、死のうとする要求もある。その二つのバランスがとれている時が健康状態である。
―中略―
この建設と破壊を繰り返す動きは、すでに細胞が現在ある形に成長する以前の気の動きの中にある。
ところがそういう動きの中に、自分の体を積極的に壊そうとする方向に持ってゆく場合がよくある。
体の中に力が余ってくると、積極的に壊す方向に動く。それがもっと高まると、当人は頭では丈夫になろうとか、病気になるまいと思いながら、体を壊す方向に使うことが少なくない。
満腹になったのにもう一口食べてしまう。痛くなったら痛くなったでいいやと思って食べる。体をここで使いすぎてはいけないと頭では知っているのに、これだけしてから休もうと続ける。そこで休めばすぐ疲れは抜けるのに、もう一つやってしまうと疲れはなかなか抜けなくなる。それを知っていながらついやってしまう。
―中略―
人間は丈夫であることだけを望んでいるとか、人類の平和を望んでいるとかいうけれども、もしそれだけなら、戦争もしなければ、体を壊すようなこともしないはずである。
0コメント