過剰エネルギー ~野口晴哉先生語録~
《野口晴哉語録より》
非行の一番大きな原因は、人間の体の中にそういう衝動的行為に駆り立てるものがあるからである。
先日の山谷事件では手配師と呼ばれる人がいて、盛んに周りの群衆を煽ったのだそうだが、一人の人間の中にもそういう手配師のような扇動的エネルギーが存在している。
これを普通は性エネルギーと言っているが、誰でも体の中に余分なエネルギーが溜まってくると、そういう衝動的な要求がたかまってくる。
大脳が抑制する力ならば、このエネルギーは起爆作用として働いているのである。
それだからその人に性エネルギーがある限り、それは怒りとか憎しみとか、不平、不満、破壊、闘争、またそれに似た感情を呼び起こし、衝動的な行動に駆り立てるような力に変わってゆくのである。
性というのは、本来は次代をつくる働きであるが、跡継ぎがいるということは、前の者が死ぬという前提があるからである。極端に言えば、死の保証によって性があるといってもよい。
だから性というものは、生きている者の中にある死の要求と見てもよい。そこで死の要求の素になるともいえる性エネルギーが溜まると、急速に発散したくなり、理由もなく物を破壊したくなったり自分を損ないたくなったりする。
苛められてジッと我慢していた人がパッと怒り出した時には、もう良いも悪いも見境がない。普段どんなに気取っている人でも、その時には大脳のはたらきは一旦停止して発散する。
それが過剰エネルギーを発散する場合の特徴であるが、性にもそういう傾向がある。
充分なコントロールのない急激の発散というのは死の要求と見てよいのであって、人間の体の中には、生きる要求と一緒に死の要求がある。死の要求が動く場合は、生きようとするエネルギーが停頓した現象と見てよい。生の要求が停頓すると性に至る。
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