本来の体育 2 ~野口裕介先生(ロイ先生)講義録~
《野口裕介(ロイ先生)講義録より》
本来の体育(2)
そしてスパッと治療ということを捨てて、昭和31年にこの整体協会を創設し、体育の団体として活動を始めたわけですが、「みんなが丈夫になっていくにはどうしたらよいか」というところからスタートして、「体育」を選んだのです。
中略
ところで、どの教科書にも、「教育」というのは「知育、徳育、体育」というのが揃って存在するのだと書かれています。この三つが揃っていると言いながら、必ず「知育、徳育、体育」の順なのでして、「体育、徳育、知育」とは書いてない。まずは知育なのです。
皆さんご存じのように体操の世界、体育の世界というと、あまり程度の高い世界ではないように思われている。
中略
けれども本来、教育の中では体育というものが一番大事なものとして扱われるべきなのです。体育ということは、教育だけでなく、人間の中の一つの基本でもあるのです。身体が健全に発達していくということは当然大事なことですし、人間が生きていく上で為されなければならない一番大事なことだと思うのです。
皆さんはNHKテレビの『みんなの体操』という番組を見たことがありますか?わりに大勢の方が見ているのではないかと思うのですが、近頃は番組の中で「この運動ができない人は、こういう運動に変えてください」とか、「立ってやれない人は腰かけてやってください」とかテロップが入るのです。
私はこれは良いことだと思うのです。
これまでの体操は、「こうやれ」なのです。「できなかったら、できるまでやれ」だったのです。何故かというと、体操を最初に取り入れたのは軍隊だったからで、ご承知のように軍隊には規律があって、みんなが同じことを同じようにやらなければならない。
一人一人が勝手な動きをするのは駄目なのです。
中略
そんなようにまず軍隊で、強い兵隊さんを作るための体操というのが先にあって、それが学校やら職場だのに入り込んできたので、みんな体操いうのは「右向け右」式なものだと思っているわけです。
しかし、本来は体操というのはそんなものではないのです。「体に対しての教養」ということが本来の体操の意味なのです。
「保健」という言葉がありますね、健康を保つためにはどうしたら良いかということ、それが体操の持っている本来のあり方なのです。そこで私たちは「整体」と主張しています。体を整えるということです。
それでは「体を整える体操」と考えた時に、その体というのは、格好を整えるとか、姿勢を正すとか、イメージとして形を整えるというように考えるかもしれませんが、それだけではないのです。もちろん姿勢を正すという意味もあるのですが、その「体」は、「体調」であったり、「体勢」、体の勢いですね、それらを整えると言っているのです。
どういうことかと言いますと、例えば意欲があってやりたいことをやり出すと、急にその人の姿勢が変わってくることがあるでしょう。
今までダラダラやっていた人がパッと緊まってやるというのは、意欲や希望が出てきて初めてそういう姿勢が取れるのです。
ですから、体を整えるという意味は、イメージとして形を整えるということはあってもいいのですけれども、それは意欲や希望が出てきたりして、勢いから初めてそういう姿勢が出てくることなのです。
人間というのは、理想を持つと胸が開いてきて、弾力が出てきます。
逆に胸が硬くなって、縮んできている人というのは、理想がなくなったと言ってよいのです。
理想と言ってもそんなに大袈裟なことではないのです。「こんなことがやりたい」とか、「こうやってみよう」とか、ふだんの日常生活の中にあるような、自発的に何かに向かっていこうとしている姿勢のことを言っているのです。
胸が縮んでいる人がどんなに一生懸命理想を語ったとしても、それは大したことではない。口先だけで続かないし、行動は伴わない。胸も張れないような理想というのはそういうものです。
胸だけでなく首だってそうなのですよ。希望を持つと一緒にフッと首に弾力が出てくる。グニャグニャとなっていた首にスッと勢いが出てくる。
そういう心の動きは体に一緒に現れてくるのでして、心と体は一つのものなのです。決して別なものではありません。
ですから「知育」とか「徳育」とか「体育」とか言っても、そういうものは本当はないのです。それは一つのものだからです。私たちはそう考えています。
写真
by H.M. スマホ
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