呼吸と生活2 ~野口晴哉著「人間の探求」~
≪野口晴哉著 人間の探求より≫
呼吸と生活
前文略
体の調子に乗るとか整えるとかいうことはどうするのかというご質問であるが、いろいろとめんどうな話を抜いて皆さんが直接このことが判るように次のことを実行されることを希望する。
それはいつも静かに深く呼吸してその息を乱さぬよう生活するということである。怒ったり悲しんだりすると呼吸が短くなり、又乱れる。
損得利害を追いかけて呼吸を浅く短くしたり、毀誉褒貶の為に息まいたり気張ったりしているのは可笑しいことである。
息を長く静かに保っていることにだけ健康への道がある。息を深く長く、いつも静かであるように生活しておれば、人相も良くなるし体も丈夫になる。息の動きに注意して生活しておれば、他人の息の動きを感じ又観ることが出来る。
体が動いてから動いたことが判るのは普通のことだが、息が見えるようになると、動く前に動くことが判るようになる。
息は動作に先立って動くからに他ならない。息と動きが合っておれば体の調子は良い。息と脈のバランスが調っておればスラスラ動ける。
元来人間の動きは一息四脈の割合を保って動いている。内蔵も運動系も同じであり、これより速ければ速いと感じ、遅ければ遅いと感じる。
息の長さがそういう感覚のもとで、息が浅く動く時はどこか急いでいる。焦ったりイライラしている。だから他の動きが遅くてしょうがない。
他人の歩いているのまで遅くてイライラする。自分の動作も息の静かな時はユックリ歩くが、自分が息込んでいる時はついセカセカ歩く。
人間の体運動は内外ともにいつも息の速度によって営まれているからである。
胃袋でも肝臓でも一息四脈という呼吸器や心臓の動きとバランスを保って動いている。この調子が乱れると違和感が生ずる。
熱が出ても胃袋が痛んでいても一息四脈を保っておれば正常なはたらきは保たれていると考えて良い。
それ故病気のような症状があってもその脈数を呼吸数で割って四になるなら安心して良い、間もなく経過して体は溌剌となる。
この逆に体は何ともないように思えても一息六脈とか二脈とかであったら、警戒して体をしらべる必要がある。もっともこれも大雑把な観方だが、大体の基準と考えて宜しかろう。
写真
by Hitomi スマホ
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