人間関係における気の通じ合い ~野口晴哉口述「愉気法講座(99)」~

≪野口晴哉口述愉気法講座(99)より≫

人間関係における気の通じ合い


五十嵐君というお医者さんが、幾ら一生懸命やっても患者と心が通じないから駄目だと。そんな心の通じることなどというのは、皆初めて合うのに初めから通じる訳がない、気を通せば良いんだと、そうすれば話は通る。ということを教えましたら、それから気を通して話しかけるとすぐに話し合いがつくと。


何か争い事の場合にも、やっぱり気を通してやったらスムーズに行ったので、気を通すということは、争い事の場合にも通じるのだろうかと言っておりました。


勿論人間同士の場合ならどんなにでも通じるのが本当で、話の通う前に気が通わなければその話は通らない。


だから子供に叱言を一つ言っても注意が集まって愉気ということが行われなければ、幾ら叱言を数多く言っても通らない。


いや逆に叱言を言う程に心は離れてしまう。やはり叱言を言い合う前に気が通る、彼と彼との間に通じるものが出来て話し合う、通じるものがなければどんなに良い言葉でも、巧みな言葉だと思われるだけである。


気が通ればそれで余分な話をしなくても通っていく。何か人間の生活にはそういう気という見えないものの働き、これが大きな働きをしているようであります。


子供を寝かせようと思って、お母さんが早く寝れば良いと思って、そして何か他の用事を考えて、イライラしながら「ネンネンよ」と言っても寝ない。ところが親がゆったりして、そして子供に注意を集めていると、何時迄も寝ている。


忙しくなると起きてしまう、というようなことがよくありますが、それらも気の問題として解釈すればそう難しくはない。


気が集まると体にもいろんな変化を起こす、丁度消防車のサイレンなど聞いていて、段々段々サイレンの音が高くなる時になると、何処か体が引き締まる、たかくなりすぎると、引き締まりすぎて痩せたようにも感じる。頂点を越して音が弛んでくると、ファーと弛んでくる。

こういうのは、サイレンは回転が高まる程高い音を出す。そういう回転数に対する共振というように言われております。琴などでもある琴を叩くと他の琴も弦がひびく、そういうので共振すると言われておりますけれども、


人間同士にもやはりそういうことがあって、酒は知己に会って飲むべしというが、本当に心の許せる人間同士で飲むと、少しの酒で快く酔う。心の許せない人だと、全然酔わない。お酒を飲んだのか飯を食べたのか判らないような感じになる。


そんなで人間のする動作は、一人で十働く人が二人いたらば二十働けるかと言ったらそうともいかない。逆に一人で十の人が、二人になったら三十働くこともある。三人になったら二十になってしまうこともある。


皆気が合うか合わないかで変わってくる。だから生活している人間という面から見ると、気というものはゆるがせに出来ない。それで私は、そういう気の問題をズーッと追及していました。


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by Hitomi デジカメ

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〜野口裕介(ロイ)先生に捧ぐ〜 Facebookページ「やさしい野口整体」に宮崎雅夕先生が投稿された記事の保存版サイトです。