忙しいという理由で ~野口晴哉先生語録~
《野口晴哉語録より》
忙しいという理由で体のことを顧みず、体の中で休みたい要求があっても休まず、食べたくないのに食べ、飲み、疲れてなお気遣いして寿命を削っている人がある。
いのちより仕事を大切にしているのであろうが、果たして仕事ということは、いのちより大切なものであろうか、疑問無きを得ない。
古人は「いのちあっての物種」と簡単に言い現しているが、仕事に熱中している間は、頭がそのことに囚われて落ち着いて省みることができない。「脚下を看よ」と禅坊主は突き飛ばすそうだが、突き飛ばされねば、眼があっても脚のあることを忘れたままでいる。
いのちを大切にすると称して、養生専一の人がいる。仕事より体と、体を庇ってばかりいるが、果たしてそれが体を大切にすることだろうか、疑問無きを得ない。
人間の体はその全力を発揮して生きる時、その力は体を彊(つよ)くする。惜しむ者は力を失う。庇い補い、自分を護ることは彊くなる所以(ゆえん)ではない。
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by Hitomi スマホ
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