自信過剰と欲望の心理 〜野口晴哉先生語録〜
≪野口晴哉語録より≫
自信過剰と欲望の心理
自信に過剰ということはございません。他人が見ると、それが自信過剰に見える。つまりやり過ぎがあるということなのです。しかし自分で見る限りに過剰ではなく自信であり、それでも迷いがあれば欠乏です。
人間はみなそれぞれ自惚れをもっており、自惚れ以外にその人の価値というものは少ないのです。
そのひとの価値を決定するのは、その人がどの程度、自惚れているかというだけで、自惚れのない人間なんてつまらない人間です。
もし私が女を口説くとしても、自惚れのない女を口説くとしたらつまらない。「はい、そうです。はい、そうです」では、つまらない。
自惚れて、馬鹿な癖に利口そうな顔をしている相手に、「お前は馬鹿だ」ということを見せる、これは面白い。
だからそういう面では口説くことも面白いけれども、自惚れのない人を口説いても少しも面白くない。
自惚れのない、自分がどこにいるかわからないような人は、ものにならないのです。やっぱり自惚れていなくては駄目で、自分に力があり、自分は相当にやっていける人間だ、ということがなくてはいけない。
自惚れを逆の言葉で言えば自信です。けれども自信というものは、その当人にとっては過剰ではないのです。
事を行った結果、他人から見ると自信過剰に見えるというだけのことなのです。あるいは自分から見て、これは自信過剰だったというだけのことなのです。
しかしそれは自信過剰ではない、自信に伴う、自信を実行に移すための知識が足りない、方法上の知識が足りないというだけで、自信過剰ということは自信が過剰なのではなくて、自信を実現するための方法、知識、そういうものが不備であるというだけのことで、自信に過剰はございません。
だから「自信過剰」という言葉で、そのようなものが存在すると思ったらそれは間違いで、人間はいくら自信を持っても自惚れてもいい。
「天地我と共に息す」とか「地球に乗って宇宙を散歩している」と思っても、それは決して自信過剰ではないのです。
写真
by H.M. デジカメ
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