意識でわからない要求 〜野口晴哉先生講義録〜
≪野口晴哉講義録より≫
意識でわからない要求
前文略
だから、体が敏感で整った状態であれば、自然に健康は保てるが、体が鈍ってしまうと工夫してもなかなかできない。
ところが今までの衛生は体を敏感にすることよりも、鈍くすることをやっていたのではないかと考えられる。
例えば熱が出たと言えば、すぐ下げてしまう。病気だから、体に変動があるから熱が出てきて調整しているのに、下げてしまったらどうなるだろう。
異常があるから痛いと言っているのに、その痛みを止めてしまったらどうなるのだろう。
また健康だから風邪も引かないと言うが、風邪を引くような条件があったら風邪を引くべきなのです。
全然風邪も引かない、丈夫だなどと言っているうちに癌になったり、肝硬変になったり、脳溢血を起こしたりする。
だから丈夫だった人がポックリ死なないために人間は病気になるのです。
そうでなかったら不便でしょうがない。こうやってお話をしていても、誰が心臓麻痺を起こすかわからない。
体が重くなって動かなくなってくる。何をやるにも億劫になってくる。そうなったらそのまま静かにしていればいいのに、計っても熱がないという理由で働くから、ひっくり返ってしまう。
敏感に風邪を引けるような体の働きがあれば、もっと細々と変化して、細々とした対応をしているはずなのです。
長生きした人を調べてみると、みんなちょくちょく患っていて、全くの無病だという人は殆どいないのに、無病だから健康なんだとか、風邪を引かないから健康だと考えて、暑さ寒さに気を使っている。
普通に働いて、暑さにも寒さにも体が変化し対応していく体が丈夫な体なのです。
守ったり庇って、やっと無事を保っているのは丈夫な体ではない。
また食べ物も色々選んで消化の良いものを食べ、栄養のあるものを工夫して食べているけれども、どんな食べ物からでも栄養を吸収できるようでなければ丈夫ではないのです。
消化の悪い物を食べて消化できないような弱い胃袋は、逆にそれを食べて強くしなくてはならない。
腕は使えば太くなる。胃袋だって同じ筋肉なのですから、鍛えればつよくなるはずです。
またなるべく人より働かないで体を休めることが健康法だと言いますが、他人より余分に働いてこそ健康なのです。
人より少ない眠りで疲れが抜けてこそ丈夫だと言えるのです。
病気を疎外してはいけないとか、手遅れになるというのは、もっともだと思うけれども、人間の体を生物学的によく見ると、
疲れの偏っている処を弛め、硬く硬張って動かなくなっている処を動かすようにする。気持ちも緊張していたり、苛立っているのをポカンとして静かにしていれば、みんなよくなってしまう。
それを息巻いて、病気と戦って勝つつもりになったりするけれども、病気は自分の味方なのです。
体に変動があるから、病気になるから、健康を保っていくことができるとも言えるのです。
変動がみんな病気だったら、毛虫がせっかく繭に入ったのに、保護されて繭から出されてしまったら生涯蝶にはなれないし、蛇の皮を皮が剥げたなどとワイワイ言われたら安心して生きていられないでしょう。
人間だって同じなのです。人間にとって病気をするということはどういう意味があるのか、また人間の体の中に起こった変動はみんな病気か、ということを先入観なしに冷静に考えていくと、
病気にならないことが病気だということが分かる。
体が敏感になれば簡単に風邪を引くが簡単に治ってしまう。
中略
ぺニシリンやストマイで黴菌を殺したから人間は丈夫になったかというと、逆に黴菌が丈夫になって、人間の方が丈夫にならない。
却って健康を保つためのいろいろな知識が必要となり、どこの病院も満員になってしまったということを考えてみると、その知識はどこか偏っている。
一方、我々の気違い部落のほうはだんだん健康な人が増えてきているという現実を見れば、体の要求で動いていればみんな丈夫になるということを断言することができるのです。
私は体の要求に、素直に動くことをお勧めします。そして、素直に動けるような体を作る方法として、活元運動、つまり錐体外路系の運動を訓練することをお勧めします。
写真
by H.M. スマホ
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