連想の活用 1〜野口晴哉先生講義録〜
≪野口晴哉講義録より≫
連想の活用 1 (昭和40年)
私達はよく「こうしなければいけない、こうしなさい」「かくかくすべし、かくかくすべからず」という「べし、べからず」だけで子供を躾けようとするが、人間は意志によって動いているように見えていても、意志で動いている部分は非常に少ない。
第一、胃袋を働かせるといっても意志では動かない。くしゃみを我慢しようとしても、意志で我慢する限りは、いつか出てしまう。内蔵に限らず、感情でも、腹を立てまいと思うと余分に腹が立ってしまう。それは抑えられないだけではなく、立てまいと思うことで、いよいよ腹が立ってくる。泣くのを堪えて涙を出すまいとしても出てしまう。
だから意志で動いているのは、〝こうする〟〝ああする〟という随意筋を使って手や足を動かす範囲だけであるが、その随意筋を動かす範囲でも意志の思う通りにはならない。
真っ直ぐな一本の線を引こうと思っても、左に曲がったり右に曲がったりする。その真っ直ぐ線を引き得るという想像、真っ直ぐに引けるという空想が先ずあって、その空想にのって意志を使うから、真っ直ぐ書ける。
しかし〝上手に書かなければならない〟〝上手に書けるかしら〟という空想が浮かんでくると、普段は真っ直ぐ書ける人でも曲がってしまう。
だから実際に意志で行動しているということは非常に少ない。ところが線を書くということは意志でやるのだから、と、つい意志で全てのことが行われているように思い込んでしまって「勉強しなければ落第するぞ」などと、強盗が〝金を出せ、命を撮るぞ〟と言うように、親は子供の意思に働きかけるが、そういう余分な脅し、或いは、〝お前バカだ、「しっかりしろ」と言うような刺激、競争心といったようなものに訴えて子供の心をそそりたてるが、自分の教えていることは、〝こうやればプラスになる、こうやればマイナスになる〟と、いつでも結果だけを言う。
第一、「試験だから勉強しろ」などというのは卑怯です。常に普段の状態であればいい。普段が悪ければ落ちればいい。それを試験だから勉強させようなどと考えるから、普段勉強しなくなる。そんなルール違反を親だけでなく学校の先生までが、平気で、「勉強が足りない」とか、「宿題をやってこない」とか、数多く繰り返しているが、それは意志を対象にして、意志に行動の全てを任せようとしているからである。
意志以外に人間を行動させるものがないのだろうかというと、〝思い浮かべること〟がある。
例えば雪が降っているのに、お使いに行かなくてはならないことを思い浮かべると、急に雪が一層冷たく感じられるし、風も強く感じられる。しかしスキーに行こうと思うと、暑さも寒さも気にならないし〝もっと降ればいいな〟と思う。そして徹夜で出掛けて滑っても疲れない。
寒いところで凧揚げをしているから平気だろうと思って、お使いを言いつけると「寒い」とか、「風邪を引く」などと苦情を言う。「この子は勝手だ」と言うけれど、凧揚げなら寒くない。お使いに行かなくてはならないという強制になると、体力が引っ込んでしまう。
だから〝試験だから勉強しなければならぬ〟と、思い込ませたら、〝お使いに行かなければならない〟と同じように体力が引っ込んでしまう。
昔の修身の本に新井白石という人が、眠くなると水をかぶって勉強したと言うことが美徳とされて載っていましたが、水をかぶって勉強するなんて少しも誉めたことではない。面白くて思わず徹夜してしまう、思わず徹夜したのは疲れないのに、居眠りをして水をかぶる、水をかぶらなくては目が覚めない、そんな退屈なことを教えようとする教師がいたら、それは教師の怠慢です。「宿題がこんなにあるんだ」と見ただけで嫌になってしまうが、やはり最初に、面白いと感じ、思い浮かべる材料が行動に結びつくように教えなくてはならない。
教師は自分の教えたことを生徒が覚えたか覚えていないかわからないから、片っぱしから宿題にしてしまう。それは自分の不安を宿題にしているようなものです。生徒はその宿題の量を見ただけで食欲がなくなってしまう。
宿題を多く出してやってこないと怒ったり、強制的にまたやらせるから、子供は勉強が嫌になってしまう。子供の心を知っているならば、数多く叱言を言ってはいけない。数多く宿題を出してはいけない。数多く重ねれば重ねるほど、逆に学習意欲をすり減らしてしまう。
だから、学校を出たら勉強する者がいなくなってしまう。大学を出たらもうみんな勉強するのをやめてしまって「講談クラブしか読みません。」などと言う亭主がずいぶんいるのです。それは何故かというと、みんな教師に勉強意欲を削られてなくなってしまったからです。だから、学校へ行かなかった人の方が却って、勉学意欲を持ち続けているということが少なくない。
数多い繰り返しをするよりは、子供の空想、思い浮かべることの中に楽しさを盛り込み〝やっていこう、やれるのだ〟という力を大切にして、出来ることをやってゆく、という考えを盛り上げていくと自ずから馬力が出てくる。
写真 by H.M. スマホ
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